2015年3月19日木曜日

僕は自営業者

僕は以前都内の通訳学校で働いたり、栃木市内にある県立高校で働いたりして、「自分は大きな組織には向かない人間」ということがよく分かりました。

僕は英語の個別指導を得意とする小さな塾の経営者です。

自営業者には毎月決まった額の給料があるわけではなく、ボーナスがあるわけでもなく、退職金があるわけでもありません。「じゃ会社員になれるのか」と聞かれたら、「なれないし、なろうとも思わない」と答えます。

大した収入があるわけではなく、共働きの妻には申し訳ない気持ちはありますが、僕には自営業者としての生き方が合っているのだと思います。



いいこともある

今午前2:23です。ここ2晩、イライラすることがあり、よく眠れないのです。こんな日が続いても、よく考えればいいことも起きています。年が明けてから仕事が増えたり、両親・妻・子どもたちは元気です。以前読んだ本に、「毎日いいことも起きているのに気がつかないだけ」と書いてあったのを思い出しました。

僕の収入は授業料に支えられ

サークルの方や我が家でレッスンを受ける方から授業料をいただく度に、「我が家の生活はこの方にも支えられている」と感じます。

僕はサービス業者で、お金をいただいているだけに、「レッスンを受けてよかった」と感じていただけるようなサービスを提供したいと思います。



春闘とは無縁

昨日、「今年の春闘で大企業は過去最高の回答」というニュースを見ました。僕は自営業者なので、もちろん春闘とは無縁です。大手の会社に勤める会社員であれば、労働時間は同じでも給料は増えるということです。僕の場合収入を増やすためには、仕事を増やすしかありません。僕の仕事を評価してくれる方を増やすだけです。

教育現場も変わる

僕が小学生だった今から30年以上前、学校の職員室は禁煙ではありませんでした。当時の保護者が、「教育現場は禁煙にすべきだ」と言ったとしても、「何をばかなことを言っているんだ。教育者だって大人なのだから、たばこを吸ってもいいだろう」とあしらわれたことでしょう。しかし今はどうでしょう。学校の敷地内は禁煙です。

「教育者こそ先生と呼ばれてはいけない」と僕が言っても、小学校の教師にこれを理解してもらうのは大変で、「突拍子もないことを言う保護者がいる」としか思われていないことでしょう。

しかし教育現場も変わるのです。僕が学校教育に関して主張していることが今は、「突拍子もないこと」と思われているとしても、数10年後にはきっと現実のものとなると信じています。

2015年3月18日水曜日

植野小学校のHPに呆れた

3月9日の植野小学校のホームページを見ると、「今日の2時間目に校長先生が1年生の授業を観に来てくださ
りました」と書いてあります。

これは保護者に向けて書かれたものですが、常識のある人が書いたものでしょうか。僕はこれを読んで呆れました。正しくは「今日の2時間目に校長が1年生の授業を観に来ました」です。どうして僕が学校の教師が書いた文を訂正しなければならないのでしょうか。

津布久校長は「学校のホームページで先生は使わない」と断言してくれたのですが、裏切られた気がします。昨年の4月、津布久校長になって一時変化が見られ期待していたのですが、逆戻りしてしまいました。

「先生は差別用語」というタイトルでブログに書いた通りですが、「先生」と呼ばれることで、人間として大切な一般常識を見失ってしまうのです。自分の学校の校長に「先生」という敬称をつけたり、「〜観に来てくださりました」と書いてしまうのがいい例です。

僕は保護者として、植野小学校の教師が適切な国語教育ができるのか、憂慮しています。僕は大切な子どもの教育を植野小学校にまかせています。社会人のしての常識を備えた人に、私の子どもの教育をお願いしたいのです。







2015年3月13日金曜日

勝って兜の緒を締めよ

我が家でレッスンの内容を記録するためのファイルが、年が明けた時は15枚でしたが、それが今では20枚に増えました。今年はなぜかお問い合わせが多いのです。今日も1件お問い合わせがありました。

ファイルの数が減ってしまうと不安になりますが、増えるのは大変ありがたいことです。

そこで思い出すのが、「勝って兜の緒を締めよ」ということわざです。10年以上前だと思いますが、警察学校へ通訳として行った時に、警備部機動隊長だったS警視に聞いたことわざです。