2014年3月4日火曜日

思い出に残るホストファミリー

1989年、僕が19歳の時に初めてオーストラリアのメルボルンへ行って、語学学校に通い始めました。この時は1年近く滞在し、8軒のホストファミリーにお世話になりました。

8軒も移る必要はなかったのですが、いろいろな家に滞在してみたいという気持ちがありました。その中でもいくつか思い出に残るホストファミリーについて書いてみたいと思います。

3軒目か4軒目だと思いますが,この家はホストファミリーと言うより、完全に下宿屋でした。その当時台湾・韓国・マレーシア・タイ・インドネシア・香港からの留学生が10人ほどいたと思います。このホストファミリーのお母さんはイタリア人で、毎日子供たちにイタリア語で話しかけていました。今でも覚えているのが「マンジャーレ」で、多分これは子供に「食べなさい」と言っていたのだと思います。この家に滞在中、イタリア語を教えてもらいました。このお母さんが外出する時にはいつも電話に鍵をかけて、留守中に留学生が電話をかけられないようにしていました。

ある別のホストファミリーで冷蔵庫にあったビールを飲んだところ、「あなたにビールを出すお金はもらってないの」と言われました。マリファナを吸うホストファミリーもいました。

1軒目から5軒目のホストファミリーは、語学学校からの紹介でした。「留学生を是非受け入れたい」というより、「空いている部屋があるから、留学生を泊めさせて生活の足しにしたい」という気持ちの家庭が多かったと思います。

このようなホストファミリーより、親日家のホストファミリーを自分で探そうと思い、モナッシュ大学へ行きました。この大学には日本語を勉強している学生が多く、日本語学科の掲示板に張り紙をしました。多分こんな内容だったと思います。「日本語を勉強している皆さん 日本語の宿題を手伝うので、家に泊めてください」

この方法で、ホストファミリーを3軒見つけました。特に8軒目のホストファミリーにいた娘さんは美人で、一目惚れしてしまいました。ただその当時、彼女の彼氏が毎日遊びに来ていて、毎晩涙ポロポロでした。

親日家のホストファミリーはけちなことは言わず、ドライブにも連れて行ってくれました。

今考えると、全てのホストファミリーはいい思い出です。またメルボルンへ行く機会があったら、会いたいと思います。


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